中・高生時代について
しょうもないからこそ、学び続けなければならない
生物 / 関口 伸一

Q1 先生は中学生・高校生時代はどんな生徒でしたか。
中学生の頃は野球部に所属し、副部長をしていました。あまり上手くはなかったですが、親戚が入院した時と自分が怪我をした時しか休まなかったので、その点を監督の先生に褒めてもらえたのを覚えています。野球は好きで中学を卒業しても草野球などで続けています。中学時代、勉強に関しては理科と社会以外は全然ダメで、英語の定期考査の後、よく再テストを受けていました。当時、目立ちたいという理由で学級委員をしていたのですが、英語の再テストを受ける際に、「学級委員やっているから頭が良いと思っていたけど、意外と勉強できないんだね。」と知り合いの女子に言われて傷ついた思い出があります。さらに再テストでも合格点をもらえず再々テストを受けたりもしました。そんな勉強が苦手な自分を救ってくれたのが、高校入試に向けて中3の頃に入った塾でした。とてもアットホームな塾で、自主的に学ぶことの大切さや楽しさを教えてもらいました。そのおかげで、入塾当時は絶望と言われていた第一志望の高校にギリギリで入ることができました。
高校では自然が好きであったこともあり、山岳部に入りました。山岳部では1つ上の先輩がいなかったので、高1で部長を任されました。登山の計画を立てたり、大会に出場するためのトレーニングを考えたりと1年生の時から色々と任されたので、大変でしたが良い学びになりました。また、山岳部は部員も少なく廃部の危機にあったので、当時の山岳部の3K(きつい・汚い・臭い)の打破に向けてイメージアップの取り組みをして、部員を30名程にまで増やすのに成功しました。山岳部は装備品を揃えるのにお金がかかるので、夏休みや冬休みはバイトをしてその費用を稼ぎました。レストランの皿洗いのバイトでは、高価な皿を割ってしまって、リーダーに怒られているところを年配のパートの方にかばってもらったり、真夏に自転車で郵便配達をした時は、「暑いから麦茶を飲んで行きなさい」と優しい心づかいを受けたり、バイトを通して仕事をする責任感や人情を学ぶことができました。
制服もなく髪型もバイトも自由な学校で、上履きだけが校則としてあったのですが、それをH R委員会で見直しをする取り組みをしました。その結果、上履きが複数種類から選べるようになりました。ただの目立ちたがり屋の自分が、H R委員会で先輩たちと「自由と責任とは何か?」というような高尚な議論の場に置かれ、苦労しながら考えを磨いたのも良い思い出です。
こうした中学・高校時代で、特に中学生の時は勉強に苦労し、しょうもない子供ではありましたが、有り難かったのは両親が一切「勉強しろ!」と言わず、好きなことをやらせてくれたことです。今になって振り返ると、苦労はしましたが自分らしさを見つけることができました。「自由にして良いが、その責任は自分で取りなさい」こうしたことを無言のうちに教えてくれたように思います。これには感謝しかありません。
Q2 先生の中学校・高校時代の今に繋がる思い出を教えてください。
生物の教員になって、日本や世界各地の自然観察に行っています。フィールドを専門とする教員としては、これも大事な自己研鑽だと思っています。思い返してみると、中学生の時、休みの日には野球部の友達と釣りに行っていました。当時流行ったルアー釣りに加え渓流釣り、ヘラブナ釣りにも手を出して部活が休みのたびに釣りに行っていました。釣りをすることが目的でしたが、さまざまな自然を見られることも大きな楽しみでした。高校時代には山岳部の合宿で奥穂高岳に登り、北アルプスの雄大さと上高地の自然の美しさに魅了されました。今では、ボルネオやモンゴルなどでも生徒を連れてスタディツアーを実施しています。それは、こうした中高時代の経験があったからではないかと思います。
勉強ができなかった中学生でありましたが、理科や社会のことを自分で調べるのが好きでした。中学生の時に理科の授業中に、先生の授業内容で間違いを見つけ、それを指摘したことがありました。その後、担任の先生を通じて「理科の授業態度が悪い」と指導を受けたことがあります。今、教員目線で考えると授業中に指摘する必要はなかったなと思いますが、授業は生徒からも学ぶものと思っているので、生徒の授業中の指摘も大切に、教員であっても驕ることなく謙虚に学びたいと思っています。
高校2年の時にはある先生の授業の進め方に納得がいかず、一時期反抗的な態度をとったことがありました。今から思えば独りよがりな考えから失礼な態度を取った自分が本当に恥ずかしいのですが、先生は一方的に私を叱りつけるのではなく、私の主張もよく聞いた上で、諭してくださいました。その後、クラスメイトの忠告もあってようやく自分の考えの足りなさに気づき、先生に対する非礼について許していただきましたが、当時の自分は本当に無知で浅はかで、まったくしょうもない高校生でした。
今、思うと自分は人と環境に恵まれていていました。その中で自分という個が磨かれてきたのだなと思います。今でもできる限り本を読んだり、外部の研究会や勉強会に参加をしたりして学びを続けています。自分はまだまだ未完で、しょうもないからこそ、学び続けなければならないのです。今後も伸び盛りの生徒に負けないように一緒に学びを続け、互いに個を磨きあっていきたいです。

生物 / 関口 伸一